2016-06-07

ネオ・サイケデリアのパイオニア - Nick Nicely

皆さんいかがお過ごしですか。なんと9ヶ月ぶりのブログ更新です。ひどい有様ですね。

今回はネオ・サイケデリア界のパイオニアであり、カルト的存在であるNick Nicelyをご紹介します。

 言葉遊びのような若干ふざけた感じのアーティスト名ですが、実はAriel PinkがR. Stevie Mooreと並んでヒーローと崇めているミュージシャンなのです。しかし"nick nicely ariel pink"と検索しても日本のレコード屋のサイトしかヒットしないので真相は定かではありませんが。一応2008年にAriel Pinkと共演?しているみたいです。また、XTCのAndy Partridgeもファンだといい、Nice Nicelyの楽曲がXTCの60年代リバイバル変名プロジェクト"The Dukes of Stratosphere"発足のキッカケとなったそうです。
 
 1959年グリーンランド生まれの彼は宅録DIY系サイケ・ポップミュージシャンとして80年代初頭に数枚のシングルを発売したもののまったく売れず、公式なアルバムリリースも00年代に入るまで一切ありませんでした。2004年に"Psychotropia"という80~90年代に録音された彼の楽曲を集めたコンピレーション・アルバムが発売されたことでようやく評価され始めました。同じく80年代当時はまったく売れず、00年代に再評価されたDIY系ミュージシャンという意味ではArthur Rusellにかなり近いものがあります。米国が生んだ偉大すぎるミュージシャンArthur Rusellについてはまた今度改めて書きますね。

 60年代のサイケ音楽を再構築したネオ・サイケデリアという音楽ジャンルは80年代に勃興し、その後The Flaming LipsやAnimal Collective等に代表されるバンドやミュージシャンたちによって現在に至るまでシーンが形成されている訳ですが、Nick NicelyはいうなればThe Soft Boysと同時期のネオ・サイケデリア黎明期のミュージシャンであり、現在のネオ・サイケデリアへと直結する物凄く先進的な音作りをしていたミュージシャンだと私は思っています。時代飛び超えてます。



 Nicelyがなけなしの私財を売って資金を作りながら1980年12月から半年間かけて自主レコーディングし、最終的に大手レーベルEMIから1982年1月に発売されたシングル"Hilly Fields (1892)"は、彼の優れたポップセンス・音楽的才能を最も色濃く反映した楽曲です。非ヒップホップのポップソングとして歴史上初めてレコードのスクラッチ音をアレンジに導入し、さらに、サイケとシンセ・ポップを融合させた初めての楽曲なのです。シングル発売当時に英国の音楽雑誌NMEが「60年代以降に作られた中で最高のサイケデリック・レコードである」と絶賛しています。リズムボックスと生ドラムを組み合わせたリズムを軸に、Nicely自身が歌い上げるポップなメロディライン、フェイザーがかったシンセサイザー、そして重厚感のあるチェロの音色が聴き手を幻想的な音世界へと誘います。そして歌詞では"1892年"という突拍子もないフレーズが飛び出し…80年代初頭の音楽としてあまりにも独創的すぎます。しかもこの楽曲が発売された当時、Nicelyはまだ20代前半というのですからまったく末恐ろしいです。Shuggie Otisを彷彿とさせる早熟さです。B面に収録された"49 Cigars"という楽曲はまるで80年代にDeerhunterが存在していたかのようなアレンジと構成でとても驚かされます。ちなみにNoel Gallagherが好きな曲だそうです。

 またこの楽曲にはいくつか伝説的エピソードが付随しています。その一つに「Hilly FieldsのAdditional Vocals担当の人物"Kate"とはKate Bushのことである」というものがあります。しかし当のNicely本人はこの噂を否定しています―「D.C.T. Dreams(Nicelyのファーストシングル曲)でKate Jacksonという女性にボーカルを担当してもらったが、当時Jacksonが彼女の本当の名字かどうか定かでは無かったのでHilly Fieldsでは単に"Kate"とクレジットしたところ、そういう噂が生まれてしまった。当時Kate Bushがうちの近くに住んでいたのと彼女がEMIに所属していたという事実がちょっとややこしくしている。」

 もう一つは「Hilly Fieldsを聴いて衝撃を受けたTrevor HornがNicelyにプロデュースを打診した」というものです。これは前述のKate Bushの話と違って本当の話です。しかしNicelyはこのおいしい話を「楽曲制作をコントロールされたくない」という理由で断ってしまいます。実に頑固ですねえ。もしNicelyが80年代に売れっ子プロデューサーの地位を確立したTrevor Hornによるプロデュースを承諾していたら、まったく違うミュージシャン人生が待っていたに違いないでしょう。まさにこの判断が運命の分かれ目だったといっても過言ではないです。

 シングル"Hilly Fields"はTrevor Hornのエピソードからも分かるように評論家筋から大絶賛されましたが、シングルとしてはまったく売れませんでした。Nicely曰く「当時のマネージャーとEMIの関係が悪くエアプレイやプロモートがまったくされなかった。」とのことです。世のミュージシャン、この手の話多すぎませんかね…。その後NicelyはEMIにシングル"On the Coast"の発売を打診されますが、「ドラムの音が気に入らない」とまたもやこだわりを発揮し発売を見送ってしまいます。後にNicelyはこの判断に関して凄く後悔しています。そしてEMIはNicelyに対する興味を急速に失います。
 その後NicelyはEMIとの契約を打ち切ります。レコーディングする機材も資金も無くなり、さらにEMIとの軋轢により音楽業界に対し幻滅し音楽業界からフェードアウトしてしまいます。90年代にハウスミュージックのプロデューサーとしてちょこっと活躍したようですが、表立った活動はありませんでした。

こうして素晴らしい音源を残しながらもニッチな存在になってしまったNick Nicelyですが、コンピレーション・アルバム"Psychotropia"は本当に良い出来です。80年代には前述のThe Dukes of Stratosphereもそうですし、ペイズリー・アンダーグラウンドやダニーデン・サウンドといったVelvet Underground等の影響を受けたジャンルにおいても60年代リバイバルのサウンドが目立ちましたが、シンセ・ポップの側面から60年代サイケとの接近を試みたミュージシャンはNick Nicelyが史上初だったのではないでしょうか。現在"Psychotropia"はフィジカルで手に入れにくい作品ではありますが、Nick Nicelyの不思議なサイケ・ポップワールドをみなさんも是非体験してみてください。

というわけでひさしぶりのブログ更新でございました。








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