2017-11-14

カレーと喫茶と難波ベアーズ

2017年11月11日(土)

この日は私が鍵盤奏者として参加している「並木達也とゆうやみ」のライブ遠征で大阪へ。
あの名高い難波ベアーズで演奏する楽しみと、”大阪スパイスカリーを食べまくる”野望を抱きながら新幹線に乗り込んだ。


行きの車内では高野秀行氏の「日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活」を読む。私はカレーに留まらずエスニック料理にも目がない。日本国内に住むタイ・フィリピン・台湾・フランス・イランなどの外国人の皆さんが作る美味しそうな母国の料理の描写を読みながら、大阪で沢山カレーを食べるために空っぽにしておいた私のお腹は活字による飢餓に耐えるのに必死だった。高野氏は「謎の独立国家ソマリランド」、「謎のアジア納豆」など名著で知られる海外系ルポの名人で(「謎」ばっかりですね)、最近読んでいる作家のひとり。
LCD Soundsystemのライブ盤"The Long Goodbye"を聴く。私が前回新幹線に乗車したのは7月末のフジロックの時。豪雨の中観たLCD Soundsystemの素晴らしい演奏にいたく感銘を受けた私は、翌日フジロックの思い出に浸りながら帰りの新幹線で聴いたのがこのライブ盤。私にとって新幹線="The Long Goodbye"なのです。



バンドのリハ前にどうしても2回カレーが食べたかった私は新大阪到着後に福島駅へ直行、「スパイスカリー大陸」で最初のカレーを頂く。トマトの主張が強い、東京の「カレーは飲み物。」の赤い鶏カレーの上位互換とも言うべきグッドな味わい。店内は木目調の落ち着いた雰囲気。カフェとしての利用も可能で、2階にはバックパッカー向けの宿も併設している。会計時に私の荷物を見た店員のお姉さんが「それ、キーボードですか?」と話しかけてくれた。ライブで東京から来た旨を伝えると曰く「ぜひ今度は泊まっていってくださいね」…次回はここに泊まろうかな。


店を出たあとはそのまま歩いて京阪中之島線・中之島駅へ。玉江橋周辺は人混みもなく静かで落ち着く。大阪という都市のメリハリ加減が好きだ。しかし駅構内はとってもキレイなのに車両がやたら古臭いのはなんなんだろう。




北浜のコロンビア8に向かう。このときスパイスカリー大陸でカレーを食べてから1時間ほどしか経過していない。着いてみると先客が店の外に9名…これぞ大人気店。お腹ポンポコリン状態の私にとってお店の行列がこれほど有り難いと思ったことは25年の人生において無かった。やはり、空腹は健全な精神の敵である。全てを赦す仏の心持ちで行列に並んだ。入店後、お客さんと店主の会話の中で「コロンビア8が最近ミシュランに選ばれた」、「レトルト版の開発に1年費やした」と知る。着席後15分ほどで強烈なビジュアルのカレーが登場。左手にししとう、右手にスプーンというスタイルで食べるカレーは、スパイスのマジックが口の中で炸裂する独創性の高い一皿。あまり腹が減っていないにもかかわらず、無我夢中で食べた。これは中毒性が高い。二度でも三度でも何度でも絶対に食べてしまうカレーだ。会計時に店主が「またししとう食べに来てくださいね」と陽気に送り出してくれる。大阪らしい気さくな接客がまたいいんだ。

難波のレコード喫茶で並木さんと落ち合うために難波駅方面へ向かう。駅前で演説する街宣右翼を煽っていた青年が完全に右翼の怒りを買い、青年を全力で追いかけるスーツ姿の右翼、全力で逃げる青年、両者がアーケード街の人混みの中を激走するという、映画みたいな光景が見られた。


並木さんが発見してくれたレコード喫茶graffitiは、飲み物を頼むと歌本に載っている曲を1曲無料で、しかもレコードでかけてくれるという画期的な喫茶店。歌本掲載のアーティストは邦楽・洋楽ともに充実していて、追加リクエストは1曲あたり100円。ある意味ジュークボックス感覚で音楽を聴くことが出来る。店内は広々としており分煙も完璧、内装もレコードだらけで私のような音楽ナードにはたまらない光景。東京にもこういう店があったらよいのになあ。ちなみに私はSteely Danの"Peg"と、Fleetwood Macの"Dreams"をリクエストした。あまりの居心地の良さに翌日も行ってしまった。

ようやく難波ベアーズの話。一番感激したのは楽屋の広さ。あの居心地の良さは今まで経験したことがない。楽屋でドラムの金光くんが「現代プロサッカーにおけるフォーメーションのトレンド」について熱心に語るのを聞いているうちにあっという間に出演時間になってしまった。

いかんせん花おこしさんの演奏がとにかく素晴らしかった。浮遊感のサイケロックな演奏にSSW然としたソフトな長濱さんのボーカルが乗っかるサウンドがドストライクだった。最近は一度も聴いたことのないバンドのライブを観るときは、演奏そのものやアレンジにプラスして、「楽曲のコード進行が自分好みかどうか」を聴くようにしているのだが(いかにもナードっぽいアプローチである…)、これには理由があって、楽曲のコード構成に作者の聴いてきた音楽、バックグラウンドがハッキリと反映されるから。いかんせん花おこしさんの楽曲のコードは少し捻りがあって、長濱さん自身もグレイトフル・デッドなどがお好きとのことで非常にシンパシーが感じられる楽曲構成だった。力強さとやさしさが共存する、絶妙な音楽性を持つバンド。いかんせん花おこしさんとは自分のサイケポップバンド・Lo-Fi Clubでいつか対バンしてみたいです。また、今回はPAがいかんせん花おこしさんの新譜に携わっているレコーディングエンジニアの須田さんが担当していた関係もあって、出力のバランスも驚くほど良かった。プロの仕事。ゲストの元山さんのペダルスティールも効果的だった。
並木さんのシングルCDもたくさん売れたようだし、物凄く良いライブになったなあ。

終演後、バンドメンバーに「文化的にのし上がりたい」、「目標はタモリ倶楽部に出ること」と語り爆笑される。POPEYEにも載りたいぞ。
打ち上げ会場の餃子の王将の店内BGMがジェネシスの"I Know What I Like"だったり、バッドフィンガー、トッド・ラングレンなどやたら渋くて驚いた。時間帯もド深夜だったしあれは夢だったのだろうか?

PS 自分のバンドでもぜひ大阪遠征したいので、バンドやってる方、もし良かったら誘ってください。もちろん東京でもオッケーです。音源はこちらです…↓


2017-01-03

音楽ナードの好きなカレー屋10選 in 東京 (2017・年始バージョン) 前編

皆様、あけましておめでとうございます。お正月はいかがお過ごしでしょうか。
私はほぼ外出をしない完全なる寝正月と化しております。
そんな状態の中、何らかの成果物のようなものをひねり出さなければならない使命感に駆られまして、音楽記事ばかり書いていた私がついにカレーというジャンルに手を出すに至りました。

さて、カレーという食べ物は本当に奥が深いです。音楽と同じくらい深い。そもそもカレーという概念自体が割と曖昧で、その種類や風味、お店のタイプは多岐に渡ります。共通点はスパイスを使っているということくらいでしょうか。ですから極端な話、毎日食べても飽きないわけです。さらには価格も基本的に安いですし、お一人様でも行きやすい店も多く、もちろんテーブル席でワイワイみんな食べることも出来る。しかも自分で作ってみても楽しい。スパイスの効能で健康にもなれる。そんな素晴らしきカレーはすっかり私の生活から切り離せない存在となりました。

今回の記事では「①値段 ②独創性 ③居心地の良さ」という3項目を基準に自分の好きなカレー屋さんを10つ選んでみました。ぜひカレー屋さんめぐりの参考にしてみてください。

※ちなみに画像は自分のInstagramからの引用です。


①デリー本店(湯島)

名物カシミールカレー
創業60年の歴史を持つ老舗カレー屋。超有名店ですね。ここで修行して独立したカレー屋さんも非常に多いです。ここの名物はなんといっても"カシミールカレー"。お店のHPによると「かならずカシミールカレーを毎日食べに来るお客さんがいる」らしいですが、さすがにそれはやりすぎでは…。しかし毎日食べたくなるような中毒性を持っているのがこのカシミールカレーです。私はこれを食べてからカレーという食べ物の美味しさ、奥深さに目覚めました。デリーには他にも魅力的なメニューがあるのですが、私は来店する度にかならずカシミールカレーを選んでしまいます。それくらい中毒性高いです。カシミールカレーは実に独創的なカレーで、相当な辛さと独特なスパイスの香りでファンを魅了しています。しかし、辛いのが苦手な人にはかなりキツいタイプのカレーだと思われますのでご注意を。辛いもの好きの私ですら毎回ヒーヒー言いながら食べてますからね。
 店内は非常に狭くかなり窮屈ですがそこは老舗ゆえのウィークポイントということで目を瞑りましょう。テーブル席が充実している銀座店もありますし。ちなみに本店ではカシミールカレーはチキンのみの提供ですが、銀座店ではマトンでも食べられます。デリーはレトルトも充実していてそれがまたうまい。しかもレトルトは具なしという味へのこだわりよう。私なんかは会計の際にカシミールカレーのレトルトを買って帰ることもあります。
 辛いものが好きで少しでもカレーに関心がある方はぜひ一度食べてみてください。

①値段…千円でおつりが来る ②独創性…☆☆☆☆☆ ③居心地の良さ…☆☆

②ダバインディア(京橋・東京)

ダバ・ミールス(2100円)。値段は張るがめちゃうまし
皆さん、"ミールス"をご存知でしょうか。ミールスとは円形の金属製の器に主食やおかずが配置される南インドの定食のことで、真ん中にインドのお米であるバスマティライスのご飯、パパド(おせんべい)が置かれ、その周りに小さな器に盛られた各種カレー、ラッサム(インドの味噌汁みたいなものですね)、アチャール(インドの漬物)などが円状に並びます。本格的インド料理屋のメニューにはかならず名を連ねています。インド米特有のパサパサした食感を味わえるのもミールスの魅力です。
ダバインディアがある東京駅周辺、および京橋・銀座は人気も評価も高いインド料理屋が立ち並ぶカレー激戦区なわけですが、その中でもダバインディアはトップクラスの実力と人気を誇っているお店です。私は色んなお店でミールスを食べてますが、「ここのミールスが一番美味しい」と言い切れるくらい、ダバインディアのミールスは本当に素晴らしいです。
 前述のとおりミールスには様々なおかずが配置されるわけですが、ダバ・ミールスはどれを食べてもとてもおいしい、非常にバランスの取れた完成度の高いミールスです。本場のミールスにようにババナの葉をちゃんと敷いているのもポイントが高いですね。彩りも豊かで目でも楽しめます。ちなみにミールスはスプーンではなく素手で、さらに、最初はそれぞれのおかずを味わった後、ご飯と複数のおかずを混ぜて食べるのが作法だそうです。
 ダバ・ミールスは2100円と値段は張りますが、都内で食べられる最高峰のミールスですのでエスニックな味わいに抵抗の無い方はぜひ一度体験してみてください。ほかにもリーズナブルな本日のカレー(800円)、平日ランチミールス(1200円)などもありますので「2100円はちょっと…」という方はそちらもどうぞ。

①値段…ダバ・ミールスは値が張るが安いメニューもアリ ②独創性…☆☆☆☆ ③居心地の良さ…☆☆☆☆

③レインボウスパイス(立川)

チキンマサラカリー。ご飯は大盛り・おかわり自由
個人的にはシネマシティの爆音上映を観に行ったりと映画での用事が多い立川もまたカレー激戦区の一つです。レインボウスパイスは私が立川へ行った際にはかならず立ち寄るお気に入りのカレー屋さんです。
 こちらのお店の一番の特徴としてはカリフォルニア米を使っているという点が挙げられます。湿り気のある日本のジャポニカ米とパサパサしたタイ・インド等のインディカ米の中間に位置するような食感を持つカリフォルニア米を活かしたカレーはかなり独創的です。そのカリフォルニア米のご飯は大盛り・おかわり自由という実に素晴らしいサービスが提供されています。ライスにはサブジ(野菜炒め)も添えられており、また、ランチ限定でダブルカレーサービスがあり、満足度が高いですね。カレーのラインナップは基本的にマサラカリー(チキン、野菜)一本というシンプルなラインナップですがトマトの酸味とクミンの風味が効いた癖になる味わいです。
 店内BGMもBeatlesに始まりXTC、Big Star、さらにはQueen、アース・ウィンド・アンド・ファイアーなど有線なのかよくわからないランダム性の高すぎる謎選曲がポイント高いです。店内はカウンター席のみとこれがまた窮屈ではありますがお一人様でも入りやすいという利点があります。
 レインボウスパイスは最近新宿にも支店を出してますがこちらも良い感じです。今後は自宅の関係で新宿店にお世話になるパターンが多そうですが立川の映画鑑賞の際にはぜひ立ち寄りたい名店です。

①値段…1000円でおつりが来る、お腹いっぱい ②独創性…☆☆☆☆ ③居心地の良さ…☆☆☆

④ハリマケバブビリヤニ(上野・稲荷町)

マトンビリヤニ。ビリヤニ食べるならこの店と決めてます。
上野公園にもアメ横にも通じていない上野駅の東口というと皆さんはあまり用が無く利用することが少ないかもしれませんが、実は僕結構利用してます。それは東口方面にすばらしき南インド料理屋・ハリマケバブビリヤニがあるからです。
さっきのミールスのくだりみたいに説明口調になってしまい申し訳ないのですが、皆さん"ビリヤニ"をご存知でしょうか。ビリヤニとはインドの炊き込みご飯で、現地では冠婚葬祭などハレの食事として食べることが多いです。日本で言えば赤飯のポジションに収まったチャーハン(そもそもチャーハンが和食じゃないですけど)という感じでしょうか。
 ハリマケバブビリヤニは名前のとおりビリヤニを前面に押し出した、日本人向けの手加減を一切していない本物のエスニックな南インド料理が食べられるお店です。
インド系の料理店に行くと私はビリヤニを食べることが多いのですが、特に美味しいのはマトンビリヤニです。チキンビリヤニを出す店は割とありますが、マトンビリヤニを出す店は意外と限られてきます。日本では全然普及してませんからね、マトン。日本人に馴染みがないマトンとビリヤニ、正直そんな組み合わせじゃ誰も食わねえだろみたいなとこありますよね。でも大丈夫です、僕が食べますので。あ、そういうことではないよね。ごめん。
 ここのマトンビリヤニは本当においしいです。ビリヤニが食べたい時は必ずこの店に行きます。バスマティライスの絶妙なパラパラ感、臭みはないがワイルドな味わいのマトン、適度な塩気、そして濃厚なスパイスの風味…見事です。
 もちろんビリヤニだけでなくマトンカレーもおいしいです。特に骨付きマトンのニハリセットのカレーは辛口な味わいと濃厚なスパイスの香りが実にエスニックです。ここのマトン系カレーは辛口でエスニック感の強いメニューが多いので耐性が無い人にはなかなか厳しいかもしれません。もちろんマイルドなバターチキンカレーもあるのでそちらもぜひ。
 実はこのお店は味だけでなく食事のボリュームと接客も素晴らしいのです。何を頼んでも少食な人は完食できないレベルの量が運ばれてきますし、インド系の店員さん(いつも同じ人)の気の利いた接客も私がこちらのお店によく足を運ぶ理由の一つです。ところで南アジア系のカレー屋さんってよく「オイシカタ?」って聞いてくること多いですよね。あの接客けっこう好きです。「キミタチサイコダヨ!」みたいな感じだし。
 「そもそもビリヤニってカレーの範疇なの?」という声が聞こえてきそうですが大丈夫大丈夫。ここはマトンカレーも美味しいですし、オッケーオッケー。本格的な南アジア料理を楽しみたい方はぜひハリマケバブビリヤニへ。支店も新橋などにあります。

値段…1000円ちょっとで腹いっぱいおいしいビリヤニが食べられる。最高。 ②独創性…☆☆☆☆☆ ③居心地の良さ…☆☆☆☆

ちょっときょうは文章書くのに力尽きた感があるので前編はここまで。せめて5番目までは書けよって感じですが、MPがカラッポなので仕方がない。
それでは後編をお楽しみに。

2016-06-07

ネオ・サイケデリアのパイオニア - Nick Nicely

皆さんいかがお過ごしですか。なんと9ヶ月ぶりのブログ更新です。ひどい有様ですね。

今回はネオ・サイケデリア界のパイオニアであり、カルト的存在であるNick Nicelyをご紹介します。

 言葉遊びのような若干ふざけた感じのアーティスト名ですが、実はAriel PinkがR. Stevie Mooreと並んでヒーローと崇めているミュージシャンなのです。しかし"nick nicely ariel pink"と検索しても日本のレコード屋のサイトしかヒットしないので真相は定かではありませんが。一応2008年にAriel Pinkと共演?しているみたいです。また、XTCのAndy Partridgeもファンだといい、Nice Nicelyの楽曲がXTCの60年代リバイバル変名プロジェクト"The Dukes of Stratosphere"発足のキッカケとなったそうです。
 
 1959年グリーンランド生まれの彼は宅録DIY系サイケ・ポップミュージシャンとして80年代初頭に数枚のシングルを発売したもののまったく売れず、公式なアルバムリリースも00年代に入るまで一切ありませんでした。2004年に"Psychotropia"という80~90年代に録音された彼の楽曲を集めたコンピレーション・アルバムが発売されたことでようやく評価され始めました。同じく80年代当時はまったく売れず、00年代に再評価されたDIY系ミュージシャンという意味ではArthur Rusellにかなり近いものがあります。米国が生んだ偉大すぎるミュージシャンArthur Rusellについてはまた今度改めて書きますね。

 60年代のサイケ音楽を再構築したネオ・サイケデリアという音楽ジャンルは80年代に勃興し、その後The Flaming LipsやAnimal Collective等に代表されるバンドやミュージシャンたちによって現在に至るまでシーンが形成されている訳ですが、Nick NicelyはいうなればThe Soft Boysと同時期のネオ・サイケデリア黎明期のミュージシャンであり、現在のネオ・サイケデリアへと直結する物凄く先進的な音作りをしていたミュージシャンだと私は思っています。時代飛び超えてます。



 Nicelyがなけなしの私財を売って資金を作りながら1980年12月から半年間かけて自主レコーディングし、最終的に大手レーベルEMIから1982年1月に発売されたシングル"Hilly Fields (1892)"は、彼の優れたポップセンス・音楽的才能を最も色濃く反映した楽曲です。非ヒップホップのポップソングとして歴史上初めてレコードのスクラッチ音をアレンジに導入し、さらに、サイケとシンセ・ポップを融合させた初めての楽曲なのです。シングル発売当時に英国の音楽雑誌NMEが「60年代以降に作られた中で最高のサイケデリック・レコードである」と絶賛しています。リズムボックスと生ドラムを組み合わせたリズムを軸に、Nicely自身が歌い上げるポップなメロディライン、フェイザーがかったシンセサイザー、そして重厚感のあるチェロの音色が聴き手を幻想的な音世界へと誘います。そして歌詞では"1892年"という突拍子もないフレーズが飛び出し…80年代初頭の音楽としてあまりにも独創的すぎます。しかもこの楽曲が発売された当時、Nicelyはまだ20代前半というのですからまったく末恐ろしいです。Shuggie Otisを彷彿とさせる早熟さです。B面に収録された"49 Cigars"という楽曲はまるで80年代にDeerhunterが存在していたかのようなアレンジと構成でとても驚かされます。ちなみにNoel Gallagherが好きな曲だそうです。

 またこの楽曲にはいくつか伝説的エピソードが付随しています。その一つに「Hilly FieldsのAdditional Vocals担当の人物"Kate"とはKate Bushのことである」というものがあります。しかし当のNicely本人はこの噂を否定しています―「D.C.T. Dreams(Nicelyのファーストシングル曲)でKate Jacksonという女性にボーカルを担当してもらったが、当時Jacksonが彼女の本当の名字かどうか定かでは無かったのでHilly Fieldsでは単に"Kate"とクレジットしたところ、そういう噂が生まれてしまった。当時Kate Bushがうちの近くに住んでいたのと彼女がEMIに所属していたという事実がちょっとややこしくしている。」

 もう一つは「Hilly Fieldsを聴いて衝撃を受けたTrevor HornがNicelyにプロデュースを打診した」というものです。これは前述のKate Bushの話と違って本当の話です。しかしNicelyはこのおいしい話を「楽曲制作をコントロールされたくない」という理由で断ってしまいます。実に頑固ですねえ。もしNicelyが80年代に売れっ子プロデューサーの地位を確立したTrevor Hornによるプロデュースを承諾していたら、まったく違うミュージシャン人生が待っていたに違いないでしょう。まさにこの判断が運命の分かれ目だったといっても過言ではないです。

 シングル"Hilly Fields"はTrevor Hornのエピソードからも分かるように評論家筋から大絶賛されましたが、シングルとしてはまったく売れませんでした。Nicely曰く「当時のマネージャーとEMIの関係が悪くエアプレイやプロモートがまったくされなかった。」とのことです。世のミュージシャン、この手の話多すぎませんかね…。その後NicelyはEMIにシングル"On the Coast"の発売を打診されますが、「ドラムの音が気に入らない」とまたもやこだわりを発揮し発売を見送ってしまいます。後にNicelyはこの判断に関して凄く後悔しています。そしてEMIはNicelyに対する興味を急速に失います。
 その後NicelyはEMIとの契約を打ち切ります。レコーディングする機材も資金も無くなり、さらにEMIとの軋轢により音楽業界に対し幻滅し音楽業界からフェードアウトしてしまいます。90年代にハウスミュージックのプロデューサーとしてちょこっと活躍したようですが、表立った活動はありませんでした。

こうして素晴らしい音源を残しながらもニッチな存在になってしまったNick Nicelyですが、コンピレーション・アルバム"Psychotropia"は本当に良い出来です。80年代には前述のThe Dukes of Stratosphereもそうですし、ペイズリー・アンダーグラウンドやダニーデン・サウンドといったVelvet Underground等の影響を受けたジャンルにおいても60年代リバイバルのサウンドが目立ちましたが、シンセ・ポップの側面から60年代サイケとの接近を試みたミュージシャンはNick Nicelyが史上初だったのではないでしょうか。現在"Psychotropia"はフィジカルで手に入れにくい作品ではありますが、Nick Nicelyの不思議なサイケ・ポップワールドをみなさんも是非体験してみてください。

というわけでひさしぶりのブログ更新でございました。








2015-09-23

23歳サラリーマンが選ぶ80年代洋楽ベストソング150

 みなさんいかがお過ごしですか。気づけばもう9月も下旬。4月からサラリーマンになってしまった私もすっかり生活に順応して社会の歯車と化しております。ブログの更新も久方ぶりになってしまったわけですが、今回は「23歳サラリーマンが選ぶ80年代洋楽ベストソング150」というテーマでお届けします。貴重なシルバーウィークを「80年代の楽曲をひたすら聴いてランキングを作る」という超インドアな行為に割いたことで「交友関係に乏しい音楽ナード」感が助長されてしまったのではないかという懸念もありますが、気にしない気にしない。
 このランキングを作ったきっかけは天下のPitchforkさんによるこんな記事を読んだことに起因します。ブラックミュージック多めで若干戸惑いを伴うランキングではあったものの、シングル曲に限らずアルバム収録曲やニッチな楽曲にも対象範囲が及んでおり、読んでいてなかなか面白かったので私も「似たような趣旨でランキングを作ってみよう」と思った次第であります。このランキングはまだしも、世間の音楽系ランキングは納得のいかない微妙なものが多い気がします。amassとかによく出てくるやつね。特にひどい例を挙げると、MTVの80年代ランキングは栄えある1位がボン・ジョビですからね(健全なジョン・ボン・ジョヴィファンの皆さんすみません)。もうちょっとなんとかしろよ、というのが本音です。

 結果的にはポストパンクやシンセポップ、パワーポップ、ニューウェーブ、ディスコ、ヒップホップ、シカゴハウス、一発屋等、たいへん多様性溢れるランキングになりました。また、ニュージランド組の多さに私の音楽趣味が如実に反映されています。ハードロック、メタル関連が完全スルー状態となってしまったのは私の不徳の致すところでございます。心よりお詫び申し上げます。
 本ランキングには楽曲の多様性を確保するために①アーティストにつき1曲、②非シングル曲も可という2つのルールを設けております。また、YoutubeのプレイリストApple Musicのプレイリスト(仕様により虫食い状態で100曲強程度しか収録されておりません。ご了承ください)もご用意致しましたので是非ご活用ください。尚、各楽曲の解説は便宜上ツイッターでやります。本ランキングが皆さんの素晴らしきミュージックライフを少しでも豊かにし、音楽探訪の旅のお役に立てたらいいなと思っています。それではランキングをお楽しみください。

1. I.G.Y. Donald Fagen 1982 US
2. Once in a Lifetime Talking Heads 1980 US
3. Love Will Tear Us Apart Joy Division 1980 UK
4. A New Kind of Water This Heat 1980 UK
5. There Is a Light That Never Goes Out The Smiths 1986 UK
6. Pictures of You The Cure 1989 UK
7. Bizarre Love Triangle New Order 1986 UK
8. Love My Way The Psychedelic Furs 1982 UK
9. Marble Station Sort Sol 1981 DNK
10. Computer Love Kraftwerk 1981 GER
11. Beautiful World Devo 1981 US
12. Downtown Train Tom Waits 1985 US
13. Hothouse The Sound 1982 UK
14. I Believe In You Talk Talk 1988 UK
15. Mayor Of Simpleton XTC 1989 UK
16. Do You Dream In Colour Bill Nelson 1980 UK
17. Steppin' Out Joe Jackson 1982 UK
18. Shipbuilding Robert Wyatt 1982 UK
19. Spring Rain The Go-Betweens 1986 AUS
20. Enola Gay OMD 1980 UK
21. Uncertain Smile The The 1982 UK
22. Let's Go Swimming Arthur Russell 1986 US
23. Cloudbusting Kate Bush 1985 UK
24. Someday Someway Marshall Crenshaw 1982 US
25. Black and White The db's 1980 US
26. The Downtown Lights The Blue Nile 1989 UK
27. Golden Brown The Stranglers 1982 UK
28. Just Like Honey The Jesus and Mary Chain 1985 UK
29. Academy Fight Song Mission of Burma 1980 US
30. Lions In My Own Garden Prefab Sprout 1982 UK
31. The Glory of Man Minutemen 1984 US
32. Going Underground The Jam 1980 UK
33. More Than This Roxy Music 1982 UK
34. Sex Beat The Gun Club 1981 US
35. Garbageman The Cramps 1980 US
36. Genius of Love Tom Tom Club 1981 US
37. Teen Age Riot Sonic Youth 1988 US
38. Underwater Moonlight The Soft Boys 1980 UK
39. Holiday in Cambodia Dead Kennedys 1980 US
40. Radio Free Europe R.E.M. 1981 UK
41. Made Up In Blue The Bats 1987 NZ
42. Never Let Me Down Again Depeche Mode 1987 UK
43. Moments In Love The Art Of Noise 1984 UK
44. Dying On The Vine John Cale 1985 US
45. Tell You (Today) Loose Joints 1980 US
46. When Doves Cry Prince 1984 US
47. Pink Frost The Chills 1984 NZ
48. Eye Know De La Soul 1989 US
49. Wood Beez Scritti Politti 1984 UK
50. Counting the Beat The Swingers 1981 NZ
51. Stop That Girl Vic Godard 1981 UK
52. Cruiser's Creek The Fall 1985 UK
53. Swamp Thing The Chameleons 1986 UK
54. Lorelei Cocteau Twins 1984 UK
55. Trouble Lindsey Buckingham 1981 US
56. The Message Grandmaster Flash 1982 US
57. Mad World Tears For Fears 1982 UK
58. Vanishing Girl The Dukes of Stratosphear 1987 UK
59. Crazy Rhythms The Feelies 1980 UK
60. Babylon Sisters Steely Dan 1980 US
61. Orpheus David Sylvian 1988 UK
62. Gone Daddy Gone Violent Femmes 1983 US
63. Love Like Blood Killing Joke 1985 UK
64. Spellbound Siouxsie and the Banshees 1981 UK
65. Ghost Town The Specials 1981 UK
66. Waters Part Let's Active 1984 US
67. At First Sight The Stems 1987 AUS
68. Rip It Up Orange Juice 1983 UK
69. Savoir Faire Family Fodder 1980 UK
70. Monkey Gone To Heaven Pixies 1989 US
71. The Jezebel Spirit Brian Eno & David Byrne 1981 UK
72. Mirror in the Bathroom The Beat 1980 UK
73. Don't Answer Me The Alan Parsons Project 1984 UK
74. Billy Two The Clean 1981 NZ
75. I Will Dare The Replacements 1984 US
76. Erica's Word Game Theory 1985 US
77. Gentlemen Take Polaroids Japan 1981 UK
78. Tainted Love Soft Cell 1981 UK
79. West End Girls Pet Shop Boys 1985 UK
80. Where There's a Will The Pop Group 1980 UK
81. Can You Feel It Fingers Inc. 1988 US
82. Falling Juliee Cruise 1989 US
83. Better Scream Wah! Heat 1980 UK
84. Optimo Liquid Liquid 1983 US
85. Dance ESG 1981 US
86. Freak Scene Dinosaur Jr 1988 US
87. The Jet Set Junta The Monochrome Set 1983 UK
88. Ashes To Ashes David Bowie 1980 UK
89. I Got You Split Enz 1980 NZ
90. Dead Man's Party Oingo Boingo 1985 US
91. I Love A Man In Uniform Gang of Four 1982 UK
92. Rock The Casbah The Clash 1982 UK
93. This World Of Water New Musik 1980 UK
94. Back On the Chain Gang Pretenders 1982 UK
95. Birthday The Sugarcubes 1988 ISL
96. More Real The Necessaries 1982 US
97. Everybody's Got to Learn Sometime The Korgis 1980 UK
98. I Don't Know Why I Love You The House of Love 1989 UK
99. Each And Every One Everything But The Girl 1984 UK
100. Sensitive The Field Mice 1989 UK
101. Atomic Blondie 1980 US
102. Drive The Cars 1984 US
103. Our Lips Are Sealed Go-Go's 1981 US
104. Every Little Thing She Does Is Magic The Police 1981 UK
105. Fade to Grey Visage 1980 UK
106. Teen Line The Shivvers 1980 US
107. I'm In Love With A German Film Star The Passions 1981 UK
108. Spacer Woman Charlie 1983 ITA
109. Twilight Electric Light Orchestra 1981 UK
110. Love Plus One Haircut One Hundred 1981 UK
111. Mary's Prayer Danny Wilson 1987 UK
112. Ah Leah Donnie Iris 1980 US
113. Private Idaho The B-52's 1980 US
114. Suedehead Morrissey 1988 UK
115. I Think I've Had It The Gories 1989 US
116. Echo Beach Martha & The Muffins 1980 CAN
117. Overkill Men At Work 1983 AUS
118. The Breaks Kurtis Blow 1980 US
119. Go Bang Dinosaur L 1982 US
120. Death and the Maiden The Verlaines 1983 NZ
121. I Like to Stay Home R. Stevie Moore 1986 US
122. Before Too Long Paul Kelly 1986 US
123. Jean's Not Happening The Pale Fountains 1985 UK
124. Hilly Fields Nick Nicely 1982 UK
125. Faces Clio 1985 ITA
126. Love Your Shoes Furniture 1986 UK
127. Sketch For Summer The Durutti Column 1980 UK
128. Man Next Door The Slits 1980 UK
129. Gypsy Fleetwood Mac 1982 US
130. Shack Up A Certain Ratio 1980 UK
131. Sledgehammer Peter Gabriel 1986 UK
132. Wouldn't It Be Good Nik Kershaw 1984 UK
133. Warm Girls Girls At Our Best! 1980 UK
134. Speak Like a Child The Style Council 1983 UK
135. Song to the Siren This Mortal Coil 1983 UK
136. Mexican Radio Wall of Voodoo 1983 US
137. Time Heals Todd Rundgren 1981 US
138. Self Control Laura Brandigan 1984 US
139. Final Days Young Marble Giants 1980 UK
140. Breath Pere Ubu 1989 US
141. Tempted Squeeze 1981 UK
142. Our Secret Beat Happening 1984 US
143. Cry Godley & Creme 1985 UK
144. Touch of Grey Grateful Dead 1987 US
145. It's a Man's, Man's, Man's World The Residents 1986 US
146. Don't You Want Me The Human League 1981 UK
147. Oblivious Aztec Camera 1983 UK
148. Let's Get Away From It All Friends 1988 UK
149. Chris & Debbie Social Climbers 1981 US
150. Dance Me To The End Of Love Leonard Cohen 1984 CAN


2015-03-04

80年代ニュージーランド音楽考―「フライング・ナン・レコーズ」と「ダニーデン・サウンド」

 音楽シーンのメインストリームであるアメリカやイギリスから遠く離れた島国ニュージーランド。この地理的なハンディキャップ故にアメリカやイギリスでは生じ得ないような実にユニークな音楽シーンを形成しているニュージーランド(ニュージーランドのロックのことを"Kiwi Rock"と言うらしい)に対して、同じく極東の島国に住む私はある種の親近感のようなものを覚えてしまう。ニュージーランドだけでなく70年代におけるドイツのクラウトロックなどにも同じことが言えるわけだが、アメリカ・イギリスの音楽シーンと地理的に距離を置くこと、というよりも置かざるを得ない状況によって、主に米英によってもたらされるその時代のメインストリームのサウンドに染まらない高踏的な音楽…つまり、今回取り上げる80'sニュージーランド音楽のように、オーパーツというよりは良い意味合いで時代錯誤、タイムラグを感じさせるようなものが、そうした国々によって生み出されることがある。ニュージーランドのバンドが意図的に時代の音に逆らっていたかは定かでは無いが、その時代に流行しているサウンドを安直かつ刹那的に取り入れようとするのではなく、あえて時代に逆らっていくことによって生じる創造性の偉大さは、世はシンセサイザーサウンド真っ盛りの1985年にトム・ウェイツが発表した大名盤「レイン・ドッグ」(面白いことにこのアルバムはアメリカ以外の国で大ヒットした)によって証明されており、大物ミュージシャン含め、多くの人間が80's特有の時流に乗ろうとして大失敗していた中、そうしたある種の「頑固職人」的なアプローチによって音楽を作り出していたミュージシャンを、後追い世代の私としてはどうしても評価したくなってしまう。このあたりはもはや音楽的側面というよりもメンタル的な意味合いをも孕んできそうではあるが。そういえば、80年代に入ってどんどん時代を音楽的に逆行していったトム・ウェイツとは対照的に、トム・ウェイツと同タイプの吟遊詩人型ミュージシャンと言えるレナード・コーエンがシンセを用いた80'sサウンドをバシバシ取り入れてたのは面白い事実ですね(あのスッカスカなサウンドは妙に癖になります)。とは言いつつも私はアンチ80'sミュージックの人間というわけでは無くて、むしろあの時代のシンセサイザーの音色をかなり気に入っているし、世間的には「80'sミュージック」という概念が単なるリアルタイム世代の懐古趣味のような物であるにしろ、所謂「洋楽」への入り口として貴重な存在であることは否定出来ない。かくいう私も小3の時に聴いたホール・アンド・オーツ(当時サイバーショットのCMソングだった)がきっかけで現在に至るのだから。ただ、単なる"ノスタルジア"としてではない素晴らしい80's音楽を、後追い世代かつ音楽の底なし沼に身体の大部分が浸かりつつあるリスナーとしては判官贔屓的に評価したくなってしまうのだ。また、昨今のミュージシャンが80'sサウンドへ回帰しているという事実から、30年経った今、ようやく80'sサウンドを真っ当に俯瞰出来るようになってきたとも言える。昨年のトッド・テリエは正に80's回帰を露骨なまでに示したサウンドであったが、ジョルジオ・モロダーの再来とも言える、確かにノスタルジックではあるが80'sサウンドをうまく2014年の音楽として成形し直した見事なアレンジには驚いた。

 末恐ろしいほどに話題が違う方向へ逸れて行ってしまったが、ここからは80年代ニュージーランド音楽について綴ることにする。検索してみたところ、80年代のニュージーランド音楽について日本語で書かれているページやブログがあまり無く、少なくとも日本国内ではかなりニッチな存在であることは間違いない。以前、ニュージーランドの通販サイトでダニーデン・サウンド系バンドのCDを買った際には、余程日本人による注文が珍しかったのか、包装の袋に黒ペンで"THANKS KOJI.(※下の名前です) RICK."と書かれていたのが印象的だった。newzealandcds.comのリックさん、こちらこそありがとうございました。
 知名度は高く無いとはいえ、この80年代のニュージーランドの音楽シーンから60年代回帰を思わせるローファイなサウンドが魅力の素晴らしいバンドが多く登場した。そうしたバンドに共通する重要なキーワードとして「ダニーデン・サウンド(Dunedin Sound)」と「フライング・ナン・レコード(Flying Nun Records)」の2つを挙げることが出来る。ダニーデン・サウンドとは80年代初頭にニュージーランドの南にある学園都市ダニーデンで誕生したインディロック系の音楽ジャンルであり(その局地的な要素とジャンル内の音楽的な類似性においてデトロイト・テクノとの相似を指摘する人も居るようだが、個人的にはペイズリー・アンダーグラウンドのほうがジャンル的には近いのではないかと思う)、そのジャンルの中心に存在していたレーベルがフライング・ナン・レコードである。フライング・ナン・レコードはクライストチャーチのレコード店従業員Roger Shepherdが「DIYポストパンク精神(do-it-yourself post-punk attitude)」に基いて1981年に設立したインディ系レーベルであり、The CleanやThe Bats、The Chills、The Verlaines、Tall Dwarfs (Chris Knox)、3Ds、Bird Nest Roysといったダニーデン・サウンドを代表するバンドを多く輩出してきた。そんなダニーデン・サウンドの売りはなんと言っても時代錯誤的なローファイでゆるゆるなバンドサウンドであり、事実、設立初期のフライング・ナン・レコードは4トラックや8トラックで多くのバンドのレコーディングを行っていた。レーベルを代表するバンドThe Cleanの1stEP"Boodle Boodle Boodle"(1981)は650ドルという低予算で制作されながらも、NZのシングルチャート(当時ニュージーランドにはEPチャートが無かった)4位にランクインし、半年近くTOP20にチャートインし続けたそうだ。当時の米英ではリズムボックス(今思えばリズムボックスもローファイサウンドの一種とも言えるが)やゲートリバーブ、大量のトラック数を用いたドラムサウンドを含んだ楽曲がチャートを賑わせていた一方で、地球の反対側ではこんなローファイなEPが売れていたのだから面白い。1981年にこのような作品が売れた理由は、きっとニュージーランドの地理的な特殊性とニュージーランド人特有のDIY精神に起因するのだろう。

ここで私がお気に入りのダニーデン・サウンド系バンドをいくつか紹介したいと思う。

The Clean

 
 The Cleanは前述のとおりフライング・ナン・レコード初期における躍進のきっかけを作ったバンドでありダニーデン・サウンド系バンドの中で最も「ゆるさ」を売りにしているバンドなのではないだろうか。The Cleanの初期の楽曲に目立つBPMが定まらないルーズなドラムとVOXコンチネンタル風のオルガンのチープな響きはいかにも60'sのオーラを纏っているし、そうしたローファイなサウンドはもちろん、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響を強く感じさせる脱力系のボーカルやノイ!を思わせるミニマル的にダラダラ続いていく演奏も特徴的である。楽曲に漂うユーモア溢れる雰囲気には同じくローファイなサウンドを売りにしていたアメリカのヴァイオレント・ファムズのそれと似たものを感じる。

 
 これはダニーデン・サウンド系バンドが複数集まった一種の音楽フェスのようなイベントの映像なのだが、高校の軽音部が開く演奏会のようなほんわかした雰囲気の中で演奏が行われているのが非常に微笑ましい。

 
 The Cleanは1990年にも"Vehicle"という名盤を発表しており、流石に"Boodle Boodle Boodle"から10年近く経った作品であるためローファイ加減はやや改善されているが、それでもやはりストレートなバンドサウンドを前面に押し出しており、その朴訥な魅力は失われていない。
このようにThe Cleanはダニーデン・サウンドを体現すると共にそのムーブメントの中心に居たバンドであり、多くの人たちに是非聴いてもらいたいバンドである。これからThe Clean聴きたいという人には初期から"Vehicle"の頃までの音源が詰まった2枚組コンピレーションアルバム"Anthology"をおすすめしたい。しかも意外と安い。


The Bats

 
 The CleanのベースRobert Scottが結成したThe Batsは、The Cleanほどダラダラフニャフニャはしていないが、やはりローファイでストレートなバンドサウンドが魅力。Robert ScottとKaye Woodwardの男女による優しいボーカルのハーモニーが心地よい。ハイテンポで疾走感がある明るい曲が多く、非常に爽やかに仕上がっているため、The Cleanよりも取っ付き易いバンドなのかもしれない。明るい曲が多いと言っておきながら何か矛盾しているような気もするが、ザ・スミス好きなんかにおすすめしたいバンドだ。3rdアルバムの"Fear of God"(1991)もかなり良いのだが、やはりおすすめしたいのはダニーデン・サウンドの頂点に立つ名盤である1stアルバムDaddy's Highway(1987)。個人的に気に入っている楽曲はTreasonNorth By North、ボーナストラックのMad On Youと上記のMade Up In Blue。どれか1曲でも良いと感じた人は是非アルバムを手に取ってみて欲しい。


The Chills


 The Chillsもダニーデン・サウンドを代表するバンドである。1984年に発表したシングル"Pink Frost"はスカスカなバンド演奏をバックに叙情的なギターとボーカルが冴える名曲であり、ジャングル・ポップ、パワー・ポップ的で明るい要素を持つ前述の2バンドの楽曲とは一線を画するサウンドを打ち出している。ポストパンク的な楽曲ではあるのだが、英米のバンドにはない独特な雰囲気を持っており、非常に癖になる。

 
 とはいえ"1986年発売のコンピレーション"Kaleidoscope World"収録のPink Frost"以外の楽曲に関しては、やはりThe CleanやThe Batsと近い感触のアレンジとなっており、この表題曲は60年代風のよりダニーデン・サウンドらしいものに仕上がっている。

 また1990年発表の"Submarine Bells"ではローファイ色が薄れ、鍵盤楽器やシンセサイザーを多く取り入れたアレンジが目立っている。上記のHeavenly Pop Hitは歌詞が素晴らしいので是非一聴を。The Chillsを聴きたい人にはとりあえず前述の"Kaleidoscope World"をおすすめします。


他のThe Verlaines、Tall Dwarfsあたりのバンドも面白いのですが今日はこの辺で終わりたいと思います。

2014-09-28

Mac DemarcoのWhat's in my Bag





 Amoebaという独立系レコードショップがアップしている"What's in My Bag"というシリーズに大好きなMac Demarcoが登場していました。店舗のレコード棚を漁ってアルバムについて語る動画なのですが、そこで興味深い事実が述べられていました。3:00頃の場面なのですが、ブルース・スプリングスティーンの"The River"を棚から見つけてジャケットのモノクロ具合や字体がデマルコのアルバム"2"に似ているという話が出た時に、実は"The River"ではなく細野晴臣の"Hosono House"の字体を参考にした、とデマルコが言っているのです。海外ではジャパニーズレアグルーヴという扱いを受けている70年代の細野晴臣ですが、まさかこういった形で影響を与えているとは思いませんでした。

 この話だけで今回の記事を終わらすのも何か勿体ないというか味気ない感じがするのでMac Demarcoの魅力についても語りたいと思います。マック・デマルコは若干24歳のカナダ人ローファイインディ系のシンガーソングライターで、2012年にファーストEP"Rock and Roll Night Club"(EPは持っていませんが表題曲はLast.fmで無料DLしました)、ファーストアルバム"2"を発売、2014年の春には"Salad Days"を発表しました。彼の魅力は硬質でコーラスを効かせたビザールなギターサウンド、脱力感のあるボーカル、そしてローファイでサイケなアレンジにあります。コーラスエフェクトを全面に押し出したギターサウンドはこの手のミュージシャンにしては特殊で奇妙な印象を受けますが、そのコーラスとリバーブの掛け具合が心地よいレイドバック感を生み出していますし、楽曲自体もメロディアスなものが多いので気軽に聴けます。
 私がMac Demarcoにハマったのは今年の3月に"Passing Out The Pieces"という"Salad Days"収録のシングル曲をYoutubeで聴いたことがキッカケでした。



 この曲を初めて聴いた時はギターというよりもずっと裏打ちで鳴っているフェイザーを効かせたシンセの音が大変印象的で、「2014年にこんな音を出す人がいるのか!」という驚きを覚えました。その後"2"収録の胡散臭いギターが冴え渡る"Ode to Viceroy"(死ぬまでタバコを吸ってやるぜ、というサウンド同様時代錯誤な歌詞)、メロウな"My Kind of Woman"(PVではデマルコが女装してます)を聴いて完全にハマってしまいました。Ode to Viceroyのビデオはスナッフビデオのような怪しさと8ミリビデオの懐かしい質感が楽曲のムードをうまく伝えている名作だと思います。ぶっちゃけ、"Passing Out The Pieces"のPVの方は悪趣味な気がしますが…。
 僕のような最近のシーンに疎いタイプの音楽好きにオススメ出来る素晴らしいミュージシャンですので聴いたことのない方は是非。まだ若干24歳ということで今後どういう作品を出すのか楽しみです。"2"と"Salad Days"は作風が似ているので、次回はもっとぶっ飛んだものを作って欲しいな。




2014-09-12

元ザッパバンドのドラマー、デヴィッド・ローグマン氏のインタビュー

 歴代ザッパバンドのドラマーの中で最も地味で人気がないと思われるデヴィッド・ローグマン氏(1980年在籍、『ティンゼルタウン・リベリオン』や『ユー・アーホワット・ユー・イズ』の録音に参加)のインタビューが思いのほか面白かったので和訳して掲載することにしました。ソース元はザッパやビーフハート、レジデンツ等の情報データベースサイト、United Mutationsデヴィッド・ローグマン氏のページに掲載されているインタビュー文です。


ローグマン在籍時の演奏(1980年6月11日 パリ/フランス)

Pat Buzby(インタビュアー)からのメール
こんにちは。返信ありがとうございます。お時間があれば質問にいくつか答えていただきたいのですが。質問は沢山ありますので全て答えていただかなくても結構ですよ。
-あなたの音楽的なバックグラウンドはどのようなものですか?ザッパバンドに参加する以前にあなたはMingo LewisとJakob Magnussonのフュージョン系バンドに参加していたようですが、どのような作品に仕上がったのですか?
-ザッパバンドのオーディションはどうでしたか?あなたがツアーの直前にメンバーとして採用されたということを最近お聞きしました。
-ツアーやセッションでの思い出(シャンカールとの共演やピエール・バーレーズがライブを観に来たこと、ピーター・ガブリエルやサンタナとの対バンなど)は何ですか?アーサー・バロウは『ユーアーホワットユーイズ』のリズムトラックが非常に早く出来上がったと私に教えてくれましたよ。スタジオ録りではなくライブ録音による楽曲について何か覚えていますか?おそらく"Theme from the Third Movement of Sinister Footwear"はアルバムの中でも最も変な曲ですよね。どうやって各々の演奏を合体させたんですか?
-onstageシリーズやレコードでも聴けない楽曲に携わったことはありますか?ギターソロでザッパが引用したあるインスト曲(ファンは"Mystery Rehearsal Piece"と呼んでます)が存在するのですが、あなたはその曲のことを知っているようですね。
-チューリッヒ公演の最初であなたは"David Logeman on drums and dust particles"(「ドラムと粉塵担当、デヴィッド・ローグマン」)とザッパに紹介されていますが、これについて何か覚えていますか?
-あなたが在籍していた当時、ザッパは「ポップ」な楽曲を志向していたようですが、ザッパバンドに参加して以来、あなたは「フュージョン」よりもこうしたポップ方面へ進んでいったようですね。時間を経て音楽的な趣向が変化したのでしょうか?
-脱退後ザッパ本人や他のメンバーと連絡を取りましたか?ザッパバンドに長く在籍し、彼の音楽に馴染んだほかの人たちよりも、幸せなキャリアをあなたは過ごしてきたようですが。
-おそらく80年代後半か90年代前半にクリスチャン系のロックバンドにあなたが在籍していたという噂を耳にしました。本当ですか?
-前回のメールでは現在のあなたの素晴らしい写真を頂くことが出来ました。他に加えるべきものはありますか?

David Logemanの回答

親愛なるPatへ
Mingo Lewis and Jakob Magnussonの作品は現在廃盤になっています。ザッパバンドのオーディションは凄かったです。「大きな耳を持ってるか?楽譜は読めるか?ロックは演奏出来るか?」、それが当時の彼がドラマーに要求した条件でした。オーディションの最初の課題は以下のようなものでした、ザッパバンドのメンバーが7/8拍子と3/16拍子のグルーヴを演奏する中、ザッパがドラマーを指揮棒で指してこう言うんです、「演奏しろ!」 ワオ!楽譜を読むのは大変でしたが、私はロック演奏の経験が豊富でした。彼は私をオーディションに4回呼んでくれて、驚くことに、私は54人のオーディションを経てザッパバンドのドラマーとして採用されました。ツアーは最高でしたよ。ヨーロッパをプライベートジェットで回るんです。レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、ボブ・マーリーとフランクで会場をローテーションするツアーで、チケットは完売でした。楽しいアメリカツアーには沢山の友人や私の家族が観に来てくれましたよ。私の音楽的バックグラウンドはクラシック、ロック、ジャズで、学歴はイリノイ大学、インターローチェン芸術学校、バークリー音楽大学です。
 『ユーアーホワットユーイズ』はツアー終了後にライブトラックをまったく使用しない形式で録音されました(※正確には"Movement of Sinister Footwear"のギターソロ、"If Only She Woulda"のベーシックトラックはライブ音源)。『ティンゼルタウンリベリオン』には私が参加したスタジオトラック(※おそらく"Fine Girl")と、別で参加したライブトラックが1、2個あったと思います。『黙ってギターを弾いてくれ』やベスト盤にも少し参加していますよ(※実はローグマンは『黙ってギター~』に一切参加していない。"Strictly Commercial"というベスト盤にはローグマンが参加した"Fine Girl"が収録されている)。私はまだリリースされていないいくつかのトラックや、YCDTOSAシリーズとして発売される予定だったフィラデルフィア公演(※おそらく1980年4月29日のタワーシアターでのライブ[Zappateers調べ])のライブアルバムにも参加しました。その音源はもしかしたらRykodiskから発売されているかもしれません。あなたが言及している他のものは単なる即興のジャムで後にフランクが楽曲として仕上げました。彼は一定の文脈の中でたくさんの自由を与えてくれました。彼はかつてやっていたようなロックアルバムが作りたかったのです。
 『オーバーナイト・センセーション』は私のお気に入りのアルバムで、私が在籍していた頃の作品は『オーバーナイト・センセーション』の作風に近いです。私のフュージョンとの関わりは単にお金です。私の目標は、常に自分の給料となる十分なお金を稼ぐためにライブ演奏やスタジオ録音に参加することが出来ている間に、色んなのジャンルの音楽を可能な限り演奏することなのです。神様ありがとう、これらは私が神から恵まれた物です。FZのチューリッヒでの私の紹介は、私がクスリをやらないという事実に基づいた彼によるジョークです。クリスチャンであるにもかかわらず、私はクリスチャン系のバンドには参加したことがありません。
 ええ、私はFZと連絡を取り続けていました。彼はヴィニー(カリウタ)を私の代わりにドラマーに復帰させたことを悪く思っていて、彼は自分の気持ちを楽にする意味で私に多くのお金をくれました。私自身はヴィニーの復帰については冷静に捉えていて、フランクはその事に対して感謝していました。ザッパバンドを辞めた後8年間テレビの仕事を続けていましたが、私はフランクと演奏する機会が無くて残念に思っていました。彼は素晴らしかったです。
 私は参加している様々なプロジェクトで忙しいので現時点で加えるべきものはありません。もっと細かいことをあなたに伝えられず申し訳ないです。しかし、私がフランクと過ごした半年間、沢山の出来事がありました。それは私のキャリアのハイライトでしたが、私が今まで経験してきた中で最も楽しくて価値のあるもの、というわけではありませんでした。
こうした機会を与えてくれた神に感謝します。何故なら、この全ての出来事が奇跡だったからです―それは間違いないでしょう…
ありがとう
デヴィッド・ローグマン

David Logemanの回答②
親愛なるパトリックへ
以下が私がザッパと出会い、バンドに加入した経緯です。
私はあるキーボーディストの友人にザッパバンドのオーディションのことを訊きました。その友人がザッパのマネージャーの電話番号をくれたので電話しましたが、すぐに断られてしまいました。その後、彼らは私がサンタナバンドのMingo Lewis、ジャズ・フュージョン系ミュージシャンのJakob Magnussonの作品に参加し、マイケルコロンビーのバンドでスティーヴ・ガッドの代役を務めた経験があることを知ると、オーディションを受けさせるために私をジョーズ・ガレージに呼び出しました。その日はたしか5人ほどの候補者が居ました。私は単に伝説の男に会いに行っただけであって、バンドに参加するチャンスがあるとは微塵にも思っていませんでした。フランクはすぐにこう言いました、「君たちは『大きな耳』を持ってなくてはならない、楽譜が読めなければならない、ロックを演奏出来なければならない」。ドラムキットは既に準備されていて、バンドの面々(アイク・ウィリス - ギターボーカル、レイ・ホワイト - ギターボーカル、トミー・マーズ - キーボード、アーサー・バロウ - ベース)が変な拍子(7/8拍子と3/16拍子が交互のリズム)をザッパ不在の状態で、また注意や指示すら一切無いまま演奏し始めました。するとフランクは指揮棒で最初のドラマーを指して「演奏しろ!」と言い、そのドラマーのオーディションが一瞬で終了してしまうのを目の当たりにしました。最初のドラマーは拍子を掴むことが出来ず、10秒も経たない内にフランクはバンドの演奏を止めさせて「ご参加ありがとう!(※=もう帰れ)」と言い放ったのです。私は「こりゃマズい!」と思い、私は自分の順番が回ってくるまでにグルーヴを掴んで演奏し始めました。その結果、フランクは私に明日のオーディションにも来るように言いました。
 前日のオーディションよりも参加者が増えていました!LAからNYなどから大物ドラマー達がはるばるオーディションにやって来ていたのです。私は再び振り出しに戻ってしまいました。私の出番が来た時、ザッパは"The Black Page"(※4拍子のリズムの中に連符が大量に盛り込まれたドラマー泣かせの難曲)の楽譜を初見で演奏することを私に要求しました。私は2ライン目に差し掛かったあたりで演奏を辞めました。フランクは「どうした?」と尋ねてきて、私は「初見で演奏するには難しすぎるが、多分演奏出来るかもしれない」と返答しました。彼は「ヴィニー(カリウタ)は初見で演奏した」と言い、それに対し「馬鹿げてる、この曲を初見で演奏出来るドラマーが居るわけがない」と私は言い返しました。フランクはずっと"The Black Page"の演奏を要求していました(ヴィニーはテリー・ボジオが録音したライブ演奏を聞いて"The Black Page"を覚えたと後に私に教えてくれました)。この初見での演奏はおしまいになって、フランクは「やっぱり君は読めないんだな」と言い放ちました。私は「楽譜は読める、他の楽曲を演奏したい」と要求しましたが、却下されてしまいました。なので、私は積み重ねてあった楽譜から他の楽曲の楽譜を抜き取り、それを初見で読んで演奏しました。彼はその演奏を気に入り再びオーディションに来るよう私に言いました。次の日のオーディションはジャズではなくロック系の曲を演奏するもので、ハードロックバンドで何度も演奏してきた私には簡単でした。一方で、ほかの多くの大物ドラマーたちは皆ジャズやファンク畑、スタジオミュージシャンの連中で、ロック物は演奏出来ませんでした。私はこのオーディションの間ずっと黙っていたので、フランクが私のところに来て「今回のツアーに参加したくはないか?」と言いました。私は「フランク(彼はギタリストに転向する前は元々ドラマーでした)がどれほど厳しい男なのか」についての恐ろしいオーディション話に終わってしまうのではなく、ツアーに参加するチャンスがあるなんて未だに考えていませんでした。私は「もちろん」と返答しました。
 それから数日後にフランクが電話してきて、これからバンドがフルプロダクションでのリハーサルに入り、私と他の候補者(Sinclair Lott)のどちらかがドラマーとして採用される、ということを伝えてきました。フランクはその候補者を先に、その後私を参加させるつもりでした。彼らがリハーサルを始める予定だった日にまたフランクから電話が掛かってきて、「もう一人のドラマーが消えちまった。昼食の休憩を取ってたらそいつが帰ってこなかったんだ!明日来てくれないか?」と提案してきたのです。
ということで、私は自分のドラムキットを運んできて、それからフランクが楽曲を電話越しに伝えてくれました。知らない曲でした。フランクはまた別の楽曲も伝えてくれましたが、それも分かりませんでした。彼はさらにもう1曲教えてくれましたが、ダメでした(私は『オーバーナイトセンセーション』以来彼の音楽を聴いていなかったのです)。彼は「どの曲なら知ってるんだ?」と言い、私達は『オーバーナイト~』の楽曲をいくつか演奏しました。いくつか新曲を試しに演奏してから、彼は私にツアーの参加を打診してきました。私は信じられませんでした!もちろんこれはツアーの前にヴィニー(カリウタ)がフランクに賃上げ交渉をしようとして解雇されてしまったおかげなのですが。私は10日間の間に2時間のライブのセットを覚えなければなりませんでした!それはもはやマザーズ・オブ・インベンション(発明の母)ではなく、ブラザーズ・オブ・リテンション(記憶の兄弟)でした!ハ!しかしそれは人生における最高の音楽体験でした。フランクは非常に厳しい人でしたが、誠実かつ公平で、一緒に仕事するのが大変な人間というわけでは無かったです。彼は私に良くしてくれて、私がテレビやスタジオでの仕事をするようになってからもずっと親しい真柄でした。フランクが亡くなる約半年前に彼の家に立ち寄れたのは嬉しかったです。存命中に彼に対して敬意を払うことが出来て本当に良かったです。彼が安らかに眠らんことを…



おまけでデヴィッド・ローグマンの対抗馬だったSinclair Lottのインタビューも和訳しました。

(June 2005)
 フランクはツアーのために新しいドラマーを見つけ、出来るだけ早くリハーサルを始めるための時間に追われていたので、オーディションは強制的な形で行われました。私はオーディションのことを聞き、参加することにしました。それはロサンゼルス中のドラマーが姿を見せ、多くのドラマーがオーディションのためにLAまで飛んでくるような、4日か5日間続いた極めて大規模なオーディションでした。
 全員同じドラムキットで演奏しましたが、多くの参加者の演奏が30秒以上続くことはありませんでした。フランクは彼が求めている音が聞こえないと、バンドの演奏を止めて、その候補者にお礼を言って、次のドラマーの方に移動したのです。私の出番が来た時、彼は楽曲のリズム構成をすぐに私に伝えました。それは私が記憶している限りでは2拍子か3拍子の変なグルーヴで、正確には覚えていませんが、4拍子では無かったです。
 私達が最初の曲を終えた後、彼は別の楽曲をカウントし始めました。私達がその曲も終えた時、彼は"The Black Page"のコピーを私に渡して初見で演奏できるかどうか尋ねました。私は「もちろん、問題ないです」と言いましたが、それは完全なる嘘でした。聴いたことがなかったし、こんな曲をなんとかやり抜こうとしている時に嘘をつくつもりもまったくありませんでした(※ここの訳微妙です。ごめんなさい。)
 とにかく、彼は私にバンドに参加するよう言い、数日間のリハーサルに参加出来るかどうか尋ねてきました。私達は『ユー・アー・ホワット・ユー・イズ』の全ての楽曲をリハーサルしましたが、それから彼は電話を掛けてきて、ツアーには別のドラマーが参加するという旨を私に伝えてきました。
少しショックでしたが、それから3週間も経たない内に私はフレディー・ハバード・クインテットのヨーロッパツアーとレコーディングに参加しました。
 私は現在ロサンゼルスでプロとして演奏していて、今年の9月に私の楽曲が収録されたCDが発売される予定です。


 Sinclair Lottのインタビューを読む限りはリハーサル中に脱走したわけでは無さそうですが、実際はどうだったんでしょうね?気になります。