2016-12-31

2016年を振り返って(前編)

みなさんいかがお過ごしでしょうか。2016年もあとちょっとで終わりですね。わたしはなかなか充実した1年を過ごしました。とりあえず年の瀬ということでエッセイ形式で個人的な1年を振り返ろうと思います。おお、なんだかすごくブログっぽい記事だ。しかしながら、書き始めたのが31日の午前2時というスタートの遅さもあり、年内に間に合いそうもありません。とりあえず途中まで書いたのでアップします。

1月~3月
・当時の最寄り駅の船橋法典にインド・ネパール料理屋がオープンする。期待に胸を膨らませてオープン日に行ってみたら料理の提供までに40分待たされる。ネパール人店員に「すみません、初めてなので…」とかわいい感じの言い訳をされる。その後3月末の引っ越しまでの間に一度もお店に行かず。ごめんよ。ところで"船橋法典"という駅名はハンムラビ法典みたいでまったくかわいくない。もし"北船橋"という単純明快な駅名だったら、西船橋の次駅という好立地ながらも中山競馬場と法典の湯(スーパー銭湯)くらいしか目立つものが無い、うだつの上がらない駅という現在のような地位に甘んじることなく、もっと発展していたのではないか。

・某美術館で展示を閲覧中にデヴィッド・ボウイの訃報を知る。脳天に衝撃が走る。つい2日前に新作・Blackstarをタワレコで買って聴いて御年69歳のデヴィッド・ボウイというミュージシャンが持つエネルギーとその挑戦的な感性に驚嘆したばかりだというのに。年の瀬の今から思うと、この年始におけるボウイの死こそが2016年という年が音楽ファンにとって大変厳しい一年となることを予兆していたのだろう。

・1月中旬に日光へ行く。寒さの厳しい時期に行ったのはあまり得策ではなかった。しかし久しぶりに行った日光東照宮は素晴らしかったし、日光湯元温泉も快適でリフレッシュできた。電車内で食べたゆばちらし弁当も美味だった。なんだか時代に置いて行かれてる感のある、中禅寺湖や華厳の滝周辺の20世紀っぽい佇まいにも何かそそられるものがあった。二日目の帰り際に日帰り温泉施設でたまたま知り合った某国際派の家族連れのご厚意で日光駅まで自家用車に同乗させていただくことに。しかし、後部座席でいろは坂の連続カーブに吐きそうになりながらひたすら現在ブラジルで留学中の息子の自慢話を聞かされる羽目になる。乗せてもらえたのは嬉しかったけど、あれはなかなかつらかった。日光東照宮で引いた中吉のおみくじには「昔の苦は楽の種となり運勢はますます盛んになろうとする。併しいつまでも前々の苦しかった境遇を忘れるな。」と書かれていた。結果的にはその言葉通りの実に実りのある良い1年となった。

・単なる一般ピーポーである音楽ナードなサラリーマンの私が新宿紀伊国屋のデヴィッド・ボウイ特集の選書にたずさわることに。出版社勤務の方がツイッター上で私に声をかけてくださったのである。たしかハンス・ウルリッヒ・オブリストの「ミュージック」や、ジョージ・オーウェルの小説、鋤田正義氏の写真集などをリストアップした記憶がある。普段は出版関係にはまったく絡みのないサラリーマンをやっているのに、書店の選書という大変貴重な経験をさせていただけてとても嬉しかったです。ありがとうございました!

・キーボード奏者として在籍中のバンド"秘密のミーニーズ"のギグを1,2,3月と1回ずつこなす。特に3月のライブは新潟での遠征で、これはミュージシャンとしてかなり刺激的な経験だった。そもそも遠征ライブ自体が初めての経験だったし、ライブ後に伝説のシティ・ポップバンドso niceのリーダー鎌倉さんと色々お話できたのが特に嬉しい出来事だった。ランチに食べた寿司もうまかった。それにしてもミーニーズのメンバーは皆実力派でとても本番に強い。この素晴らしいバンドにキーボード奏者として参加できるとはとてもありがたいことです。精進します。

・会社都合で都内へ引っ越す。船橋時代はアコギのチューニングをしているだけで天井から上の階の住人によるクレーム足ドンが鳴り響くという実に劣悪な遮音性を誇る家に住んでいたわけだが、そのあたりの悩みが引っ越しを機に解消されて本当によかった。

4月~6月
・オリックスの新外国人ボグセビックについて、「いかにも微妙な成績を残して1年で退団しそうな名前だな~」と開幕前に思っていたら本当に本当に微妙な成績(打率.187 3本 18打点)を残して退団してしまった。

・あまりにひどい下戸(分解酵素皆無)なので最初の一杯のビールすら飲まないようになる。そんな社会人として終わっている無様な私に対し、「毎日飲んだり吐いたりしてるうちにアルコールに強くなるよ」という助言を頻繁に頂くのだが、やはり私には酒を克服しようとする努力が足りないのだろうか。それでも周りには下戸に対して理解のある人が多くて飲みの場では非常に助かっている。申し訳ないです…

・「くら寿司で一番おいしいメニューはもりもりポテト」という結論に至る。

・プリンスが急死。ボウイに引き続き20世紀のポップスターがまたしても…2016年はなんと辛い年か。映画"サイン・オブ・ザ・タイムズ"の追悼上映を観に行く。勿論プリンスのパフォーマンスも良いのだが、とにかく女性ドラマー・シーラEの迫力に圧倒される。特に"It's Gonna Be a Beautiful Night"の早口パートのカッコ良さと言ったら…。上映後にすすり泣く女性ファン多数。偉大なポップスターの影響力を目の当たりにした。

・4月下旬、仕事終わりにカープ戦を観に神宮球場へ。バックネット裏の特等席での観戦は人生初。投げては野村祐輔投手がプロ入り完封、打っては鈴木誠也選手や新井選手などが打ちまくり完勝。今年のカープの快進撃を象徴する大変スカッとする気持ちのよい試合だった。しかしながら、試合中居心地が悪かったであろう、自分を誘ってくれたヤクルトファンの友人には申し訳なかった。帰宅後、報道ステーションのスポーツコーナーをチェックすると鈴木誠也のHRの打球にビックリするマヌケな自分の姿がバッチリ映っていた。

・福岡の音楽フェス"CIRCLE"を観に行く。東京から福岡へ行くのはなかなか面倒だがメンツが良かったので。何と言っても初日夕方に観たジム・オルークが素晴らしかった…ノイジーでロックでポップでドラマティックな演奏は私にとって2016年一番のベストアクトだった。そんなジム・オルークのアクトをステージ袖から楽しそうに眺めるceroの面々も微笑ましかった。最前列でライブを堪能し終演後満足げに後ろを振り返るとガラガラ、なんとお客さんが3列分しか居ない。たしかに出演者の中でジム・オルークは明らかに浮いてたからね…。CKBや向井秀徳弾き語りも実に良かったし、雨中のMETAFIVEもなかなか乙なものでした。良いイベントだったのでまた行きたいけどちょっと福岡は遠いかな。
福岡滞在中は屋台に始まりもつ鍋・うどん・とんこつラーメン・ひとくち餃子などB級グルメを満喫させていただきました。その中でも特に惹かれたのはお通しで出される"酢もつ"。あれこそが福岡における最良のグルメなのではないだろうか。

・大阪XTCの集いでコピーバンドのメンバーとしてはるばる東京から参加。唯一の東京からのメンバーということで本番まで直接リハする機会は皆無。自宅でギターとキーボード、つまりデイヴ・グレゴリーとバリー・アンドリュースのパートをイメトレで猛練習した。本番ではアンディ・パートリッジ氏と旧知の中であるスティーヴさんがスウィンドンからお越しくださいました。ぶっつけではありましたが非常に楽しいライブで、その後の飲み会でも大阪のXTCファンの方といろいろお話したり、スティーヴさんとは「スティーヴ・リリーホワイトのドラムサウンドは偉大」、「ロジャーウォータースは神」、「ABBAは最高。音のレイヤーがすごい。だから君は音のレイヤーに注目して音楽を聴け」といった話で盛り上がったりして大層楽しい1日となりました。また機会があればぜひ大阪XTCの集いに参加したいです。大阪の皆さんありがとうございました!

・この時期にドキュメンタリー映画"FAKE"やシャムキャッツ主催のライブイベント(KIRINJIやどついたるねん、GREAT 3などが出ていた)を観に行ったりした。あ、あとは80年代風青春音楽映画こと"シング・ストリート"も観たっけ。ダニー・ウィルソンの人が音楽を担当していた映画。どれもおもしろかったなあ。

7月~9月
・KIRINJI"ネオ"発売記念トークショー&サイン会(新宿タワレコ)へ行く。なにより弓木英梨乃さんがかわいすぎた。トークショーでは「ツアー中はかならずココイチへ行く」という話が面白かった。思い入れが強すぎて堀込高樹さんにサインしてもらっている時に何も話しかけられなかった。本当は「あなたは日本の音楽界の至宝です!」くらいのことを言いたかったんですが…せめて野球の話でもすればよかった。ところで最近気がついたんですが、現KIRINJIドラマーの楠均さんって私が大好きな女性シンガー・小川美潮さんの楽曲"きもちのたまご"の作曲をやっていらっしゃるんですね。目から鱗。

・フジロックに初参加。2日目の土曜お昼に苗場到着。ROVO→Wilco→BECK→スクエアプッシャーの途中で退散というスケジュール。BECKの裏でやってたTortoiseが観れなかったのは残念だったかどれも良かった。Wilcoは一通り好きな楽曲をやってくれて、特にVia Chicagoでのドラムが滅茶苦茶に叩きまくるパートで観客が大盛り上がりしたのが楽しかった。モロにトム・ヴァーレインっぽいトレモロアーム多用のビブラート奏法を駆使するネルス・クライン(名前合ってる?)のギターが印象的だった。BECKは80'sっぽいゲートリバーブが効いてるドラムサウンドが素晴らしく鳴り響いていた。実はBECKの楽曲自体はそこまで好みではないが、フジロックでのアクトはエンタメ性が高くとても楽しめた。苗場特有のデコボコな悪路に買ったばかりのニューバランスのスニーカーで挑んだのは明らかに愚策だったが今となっては良い思い出。さすがのフジロック、フード類も充実していて美味しいものが多かった。新幹線だと何かと不便なので次回は自動車で行こうと心に決める。そのためにはまずペーパードライバーを克服せねば。

2016-06-07

ネオ・サイケデリアのパイオニア - Nick Nicely

皆さんいかがお過ごしですか。なんと9ヶ月ぶりのブログ更新です。ひどい有様ですね。

今回はネオ・サイケデリア界のパイオニアであり、カルト的存在であるNick Nicelyをご紹介します。

 言葉遊びのような若干ふざけた感じのアーティスト名ですが、実はAriel PinkがR. Stevie Mooreと並んでヒーローと崇めているミュージシャンなのです。しかし"nick nicely ariel pink"と検索しても日本のレコード屋のサイトしかヒットしないので真相は定かではありませんが。一応2008年にAriel Pinkと共演?しているみたいです。また、XTCのAndy Partridgeもファンだといい、Nice Nicelyの楽曲がXTCの60年代リバイバル変名プロジェクト"The Dukes of Stratosphere"発足のキッカケとなったそうです。
 
 1959年グリーンランド生まれの彼は宅録DIY系サイケ・ポップミュージシャンとして80年代初頭に数枚のシングルを発売したもののまったく売れず、公式なアルバムリリースも00年代に入るまで一切ありませんでした。2004年に"Psychotropia"という80~90年代に録音された彼の楽曲を集めたコンピレーション・アルバムが発売されたことでようやく評価され始めました。同じく80年代当時はまったく売れず、00年代に再評価されたDIY系ミュージシャンという意味ではArthur Rusellにかなり近いものがあります。米国が生んだ偉大すぎるミュージシャンArthur Rusellについてはまた今度改めて書きますね。

 60年代のサイケ音楽を再構築したネオ・サイケデリアという音楽ジャンルは80年代に勃興し、その後The Flaming LipsやAnimal Collective等に代表されるバンドやミュージシャンたちによって現在に至るまでシーンが形成されている訳ですが、Nick NicelyはいうなればThe Soft Boysと同時期のネオ・サイケデリア黎明期のミュージシャンであり、現在のネオ・サイケデリアへと直結する物凄く先進的な音作りをしていたミュージシャンだと私は思っています。時代飛び超えてます。



 Nicelyがなけなしの私財を売って資金を作りながら1980年12月から半年間かけて自主レコーディングし、最終的に大手レーベルEMIから1982年1月に発売されたシングル"Hilly Fields (1892)"は、彼の優れたポップセンス・音楽的才能を最も色濃く反映した楽曲です。非ヒップホップのポップソングとして歴史上初めてレコードのスクラッチ音をアレンジに導入し、さらに、サイケとシンセ・ポップを融合させた初めての楽曲なのです。シングル発売当時に英国の音楽雑誌NMEが「60年代以降に作られた中で最高のサイケデリック・レコードである」と絶賛しています。リズムボックスと生ドラムを組み合わせたリズムを軸に、Nicely自身が歌い上げるポップなメロディライン、フェイザーがかったシンセサイザー、そして重厚感のあるチェロの音色が聴き手を幻想的な音世界へと誘います。そして歌詞では"1892年"という突拍子もないフレーズが飛び出し…80年代初頭の音楽としてあまりにも独創的すぎます。しかもこの楽曲が発売された当時、Nicelyはまだ20代前半というのですからまったく末恐ろしいです。Shuggie Otisを彷彿とさせる早熟さです。B面に収録された"49 Cigars"という楽曲はまるで80年代にDeerhunterが存在していたかのようなアレンジと構成でとても驚かされます。ちなみにNoel Gallagherが好きな曲だそうです。

 またこの楽曲にはいくつか伝説的エピソードが付随しています。その一つに「Hilly FieldsのAdditional Vocals担当の人物"Kate"とはKate Bushのことである」というものがあります。しかし当のNicely本人はこの噂を否定しています―「D.C.T. Dreams(Nicelyのファーストシングル曲)でKate Jacksonという女性にボーカルを担当してもらったが、当時Jacksonが彼女の本当の名字かどうか定かでは無かったのでHilly Fieldsでは単に"Kate"とクレジットしたところ、そういう噂が生まれてしまった。当時Kate Bushがうちの近くに住んでいたのと彼女がEMIに所属していたという事実がちょっとややこしくしている。」

 もう一つは「Hilly Fieldsを聴いて衝撃を受けたTrevor HornがNicelyにプロデュースを打診した」というものです。これは前述のKate Bushの話と違って本当の話です。しかしNicelyはこのおいしい話を「楽曲制作をコントロールされたくない」という理由で断ってしまいます。実に頑固ですねえ。もしNicelyが80年代に売れっ子プロデューサーの地位を確立したTrevor Hornによるプロデュースを承諾していたら、まったく違うミュージシャン人生が待っていたに違いないでしょう。まさにこの判断が運命の分かれ目だったといっても過言ではないです。

 シングル"Hilly Fields"はTrevor Hornのエピソードからも分かるように評論家筋から大絶賛されましたが、シングルとしてはまったく売れませんでした。Nicely曰く「当時のマネージャーとEMIの関係が悪くエアプレイやプロモートがまったくされなかった。」とのことです。世のミュージシャン、この手の話多すぎませんかね…。その後NicelyはEMIにシングル"On the Coast"の発売を打診されますが、「ドラムの音が気に入らない」とまたもやこだわりを発揮し発売を見送ってしまいます。後にNicelyはこの判断に関して凄く後悔しています。そしてEMIはNicelyに対する興味を急速に失います。
 その後NicelyはEMIとの契約を打ち切ります。レコーディングする機材も資金も無くなり、さらにEMIとの軋轢により音楽業界に対し幻滅し音楽業界からフェードアウトしてしまいます。90年代にハウスミュージックのプロデューサーとしてちょこっと活躍したようですが、表立った活動はありませんでした。

こうして素晴らしい音源を残しながらもニッチな存在になってしまったNick Nicelyですが、コンピレーション・アルバム"Psychotropia"は本当に良い出来です。80年代には前述のThe Dukes of Stratosphereもそうですし、ペイズリー・アンダーグラウンドやダニーデン・サウンドといったVelvet Underground等の影響を受けたジャンルにおいても60年代リバイバルのサウンドが目立ちましたが、シンセ・ポップの側面から60年代サイケとの接近を試みたミュージシャンはNick Nicelyが史上初だったのではないでしょうか。現在"Psychotropia"はフィジカルで手に入れにくい作品ではありますが、Nick Nicelyの不思議なサイケ・ポップワールドをみなさんも是非体験してみてください。

というわけでひさしぶりのブログ更新でございました。