2014-04-19

Captain Beefheart - 『Trout Mask Replica』 1969

「ポップ・ミュージックの歴史に天才が存在するとしたら、それはキャプテン・ビーフハートである。("If there has ever been such a thing as a genius in the history of pop music, it's Beefheart")」という言葉でキャプテン・ビーフハートことドン・ヴァン・ヴリートを評したのはBBCの伝説的DJ、ジョン・ピールである。そんな天才・キャプテン・ビーフハートの代表作が3作目の『Trout Mask Replica』であるというのはほぼ間違いないと思うが、2014年4月現在、この『Trout Mask Replica』の入手が難しくなっている。その原因はザッパファミリーによる『Trout Mask Replica』の権利取得にある。ザッパファミリーに本作品の権利が移行したことにより、安価かつ市場に多く流通していた旧盤が廃盤となった一方で、昨年5月にZappa Recordsから発売されたリイシュー盤は基本的にザッパ公式サイトからの直販という形を取っていることから、あまり市場には出回っていない上、日本だけでなく米英のAmazonで検索してみても、旧盤・リイシュー盤共に高値がついており、音楽ファンが『Trout Mask Replica』というポップ・ミュージックシーンにおける最重要作品に出会う機会が失われているという意味では、現在の状況は最悪とも言える。この状況を生み出したのは明らかにザッパファミリーによるリイシューなのだが、大変心苦しいことに、Bob Ludwigによるリマスタリングが施された2013年リイシュー『Trout Mask Replica』のCDの出来がとてつもなく素晴らしいのだ。旧盤を一切聴かなくなってしまった程私はこのリイシュー盤を愛聴している。リマスタリングという行為の存在価値を改めて実感させてくれるような、見事な音像に仕上がっているのだ。全体の音圧が向上し、全ての楽器の音が前方に引き出され、それぞれの楽器のフレーズがくっきりと浮かび上がってくる。このリマスター盤の素晴らしさは、"Moonlight on Vermont"を一聴すればすぐにお分かりいただけると思う。ともかく、Zappa Recordsによるリイシュー盤は、私が心の底から「買って良かった」と思える程の出来だったのだ。
 とは言え、ザッパ公式サイトで$34.70(送料込み)、日本国内であれば5000円近くするCDを気兼ねなく買う人というのはよっぽどのビーフハートファン、またはザッパ公式サイトでザッパ作品を買うついでにトラウト・マスク・レプリカのCDをカートに入れておいたザッパファン、もしくは小金持ちのレコード・コレクター以外ありえないのである。いかにリイシューCDの出来が良かろうとも、多くの音楽ファンの手に取ってもらおうという姿勢が一切感じられないザッパファミリーのニッチ的な販売方式にはかなり問題があるのではないだろうか(高い価格設定というのは中高年向けの典型的なリイシュー商法にも見受けられるが、今回の場合、市場にCD自体が出回っていないというのが一番の問題である)。次作の『Lick My Decals Off, Baby』のCDも長年に渡り廃盤の状態が続いており(私も再発のカラーヴァイナルしか保有していない)、ビーフハートの音楽キャリア史上、最も前衛的な方向を突き進んだ最高傑作とも言える2作品が手に入りにくいという現状をどうにか打破していただきたいと一ビーフハートファンとして思うばかりであります。


前置きは長くなったが、『Trout Mask Replica』という作品そのものについて語らせて頂きたい。先程は「天才・キャプテン・ビーフハートの代表作」と申し上げたが、この「代表作」という言葉にはある種の「悪名高さ」という意味合いも込められている。前衛音楽からブルース、フリー・ジャズ、スポークン・ワードに至る、多様な音楽が織り交ぜられた作風は混沌を極めており、多くの音楽ファンを悩ませてきた。かくいう私も、高校生時代に本作品を初めて聴いた時はわけが分からず、一度聴いただけでCDを数ヶ月放置した経験がある。「ポップ・ミュージックの歴史において、音楽以外の領域で活動する芸術家たちにも理解し得る、芸術作品として見なすことが出来る音楽作品が存在するとしたら、おそらく『トラウト・マスク・レプリカ』がそのような作品である」と絶賛したジョン・ピールでさえも初めて聴いた時は困惑したといい、ザッパフリークでお馴染みの『ザ・シンプソンズ』の作者、マット・グローニングも「初めて聴いた時、俺は十五歳だった。これほどひどい音楽があったのかと驚いたね。こいつら、不協和音をぶちまけているだけで、演奏する気なんかないんだと思ったよ。」と語っている。こうした『Trout Mask Replica』の作風に対する困惑は、ビーフハート・マジックに掛かるためのある種の通過儀礼なのではないだろうか。「そして、三回目くらいになってようやく気づいたのさ。かれらは、わざとこういう音を出しているんだって。六回目か七回目で、完全にはまった。こんなすごいアルバム、ほかにありっこないと思い始めていたよ。」グローニング氏も何度も聴いていく内にビーフハート・マジックに掛かっていったのである。「最初に聴いた時にあまりしっくり来なかった作品ほど、後に愛聴盤となっていく」という音楽ファンの主張をよく耳にするが、『Trout Mask Replica』はその典型だろう。
 本作で聴くことの出来る「音楽的混沌」は、厳密に言えば「秩序ある混沌」である。ビーフハートのピアノ(演奏経験なし)による作曲を発生源とする奇妙な音塊が、ドラマーのジョン・フレンチによる採譜と8ヶ月に及ぶリハーサルに励んだザ・マジック・バンドによる再構築を通じて、最終的に「秩序のある混沌」と呼べるような、メチャクチャにやっているように見えて実は緻密に計算されたサウンド、へと辿り着いた。この手法は次作の『Lick My Decals Off, Baby』でも活かされており、バンドとして『Trout Mask Replica』以上にまとまった感のある素晴らしい演奏を聴くことが出来る。『Trout Mask Replica』を制作する前に行われた『Mirror Man』セッションでは、ブルースバンドとして典型的なワンコード進行によるジャム演奏が聴けるが、このある種ダラダラとした60年代後半に多く見られた長時間演奏するクリーム、グレイトフル・デッド的アプローチに対し、予め決まったフレーズをリハーサルを重ねる中で習得し、短い楽曲(最大でも5分)として構築していく『Trout Mask Replica』におけるアプローチは正に『Mirror Man』のそれとは対極に位置しており、サウンドそのものだけでなく作品の構築過程においても『Trout Mask Replica』はオリジナリティに溢れている。その点やはり、ビーフハートによるピアノフレーズを次々に採譜し、アレンジャーとして、また、ドラマーとしてサウンドをまとめあげたジョン・フレンチの功績は大きい。左右で異なったフレーズをかき鳴らすビル・ハークルロードとジェフ・コットンのツインギター、マーク・ボストンによる不気味なベース、それぞれの楽器のリズムパターンに絡みつくように演奏されるフレンチのドラムが絶妙なアンサンブルを生み出している。演奏自体は複雑だが、ブルースを軸にしたバンド編成だけあって、どこかシンプルな魅力すら感じられるのだ。
 
 「音楽作品の背景を知る必要はなく、音だけを聴いて判断すべきだ」という意見はもっともだが、少なくとも私は『Trout Mask Replica』の制作過程を知ることで本作品のサウンドに対する理解が深まり、作品に対する見る目が大きく変わった。かつての私のように、このジャケットが特徴的なアルバムが理解出来ずに放置している方も改めてこの独創的なサウンドに身を委ねてみてはどうだろうか。

追伸:昨日、英語版ページとマイク・バーンズ氏の評伝を参考に、日本語版Wikipediaに『トラウト・マスク・レプリカ』の項目を追加したので、是非読んでみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%AB

0 件のコメント:

コメントを投稿